Graduation

愛校心を持っていますか?

 

私はありません。

 

 

 

 

 

 

 

入学式の翌日から、新入生は温泉旅館に監禁されて2泊3日の研修を受ける。

学力テスト、オリエンテーション、クラスの役決め、講演会、課題研究…

中でも最悪なのは、クラスごとの校歌と応援歌の練習だ。毎朝のスタートはもちろん、昼も夜も大きな声で歌い、最終日には校長の前で発表し最も優秀なクラスが表彰される。

こう書くと特に嫌な要素は無いのだが、私にとってこの研修は地獄の思い出なので、この日から校歌と応援歌は地獄のテーマソングとして記憶されてしまったのだ。( ちなみになぜ地獄だったかというと、この研修前に出された課題が終わっておらず研修中に夜2時まで居残り学習をしたからである。自業自得。因果応報。南無南無南無南無。)

 

 

研修から帰ってくると、家にいるおじさんから部屋の片付けをさせられた。ゴミを分別しながら校歌を歌ってみろと言われ、歌詞を間違えると「お前の学校への愛はその程度か。ふざけるな。俺は先輩だぞ。お前の親である前にお前の先輩だ」と言われ「ウケる」と思った。(以前には「親である前に雇用主と従業員である」宣言をされた。私には父親がいない。)

 

 

その後、1年生2年生とあらゆるイベント・行事・式典の度に校歌や応援歌を歌った。最初ほどの嫌悪感は無いものの、まだうっすらと苦手意識を持ってそのメロディーを受け止めていった。そもそも体育会系のノリが苦手なので、応援歌は特に自分の人生との温度差を感じずにはいられなかった。それだけでなく、校歌・応援歌は昔から変わらない伝統ある歌だ。OBを名乗るよくわからないお爺さんもこの校歌を歌えるのだ。つまり、うちにいるよくわからんゴミもゴミなりに大切な青春を過ごした学び舎の思い出としてこの歌を心に留めている。それが嫌なのだ。

 

 

 

 

愛校心なんて、在校生にある訳がないと私は思う。卒業してみれば、苦しい重荷や責任から逃れられるし、自らの成長を実感することで自分が過ごした日々の尊さやそれを取り巻く学校という存在にかけがえのない思いを抱くだろう。しかし、現在大量の課題と理不尽な校則、将来への不安の中でもがいている現役高校生は、どうしてこの学校を素晴らしいと思えるだろうか。しかし私は、学校の体制や校風の愚痴を言うと「愛校心が無いなら学校辞めろ。お前みたいな奴はいらない」と憤慨するおじさんと日々を過ごしてきたため、3年間本当に最後まで学校を好きになれなかった。

 

 

 

 

そして来る3月1日、卒業式。始礼、開式の辞に続くは国家・校歌の斉唱。前奏が流れ、1番2番を歌っている時、私は初めてこの校歌を少し良いと思えた。美しい自然と素晴らしい仲間に囲まれ、ここまで成長できた自分を肯定できるかもしれないと思った。

 

 

 

 

しかし、間奏に入った瞬間、後ろから大きな声で3番を歌うおじさんの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

え??おじさん?????????

 

 

 

周りは騒然、失笑。私もヤバいおじさんいるねーと言ってやり過ごした。前言撤回、私はこの学校が嫌いだ。なぜなら素晴らしい仲間と思い出に出会えたこの場所に名前に歌に、私がこの世で1番嫌いな人間のイメージがつきまとってくるからだ。もう一生こんな学校おさらばだよ、ファッキュー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛校心、ありますか?