泣いた

大学生活が終わる。

四年間続けてきたバイトも、飲み仲間も、たくさんバイバイして新しく会社のコミュニティに加わる。

 

赦されることに感動してしまった。

同期10人で旅行した。実家で騒ぎまくって怒られたけど、準備も何もかも楽しくて、日常も特別も共有してきたメンバーが最高すぎてあっという間だった。

高校時代みたいに四者四様に個性があってどのペアも面白いって感じじゃなくて、常にフルハウスができてたりもはや1になってたり

個人個人への思い入れじゃなくてみんなで共有した一つの場に対しての思い入れがある感じ、とても尊い

 

そして自分が許し赦される人間でありたいと強く思った。

優しい嘘をたくさんつける人は素敵だなと思った。なんで私は人の悪いところしか言えないんだろう。

いい言い方をした時、気づいてもらえないことの方が多くて損すると思ってるのかな。自分が自分のことを好きになることが大事なのに。神に見られても恥ずかしくないと、死ぬ時に天国へ行けると思えるような倫理的規範に従わないと。

アイロニックでもパラフレーズでもいいからやっぱり素敵な人になりたい

 

やらなきゃいけないことは毎日死ぬほどあって、たまに死んじゃうこともあるだろうけど、大事にしなきゃ

 

赦されることが嬉しいのに、構われると嫌になっちゃうというか、私があなたを当たり前のように頼ってると思われたくないみたいな

当たり前のように頼っていいよって言ってくれてるだけなのに。

ヨーロッパ旅行でうまくいかなかったところ、自分の信念を曲げたとかじゃなくて、本当に自分の大切な人たちと楽しくしたいって思いでうまく改善できたと思う。

 

たくさん自己嫌悪して羨ましさ溜め込んでるけど、頑張れる

四年間たくさん支えてもらって、赦されて生きてきた尊い時間に泣いちゃって仕方ない。

 

いろんなことがあるけど、人に優しく、誰にでも頼られるような人になりたいし、何よりも人を頼ることが上手にできる人間になりたい。プライドとか捨てて、とにかく優しくありたい。

 

できるといいな

忘れたンゴねえ

就活が辛い。

堕落したオンライン生活で授業中にYouTubeを貪った結果、手帳日記もブログも使わずポツポツと140文字のノートにしか物を書かない人間になっていた。

そもそも二十歳までは自分の思っていることや苦しんでいることを言葉にしたくてしたくて仕方ない情熱を持っていたが、現在はというと全くその情熱がなくむしろ文章を書くことがそれほど心地よくない。

この変化はなぜか。YouTubeTiktokに侵され言語野がお亡くなりになったというのは十分考えられることだ。←もうこの文章がおかしい気がする。作文能力が一切ない。ばなな。

大きな変化といえば、衝撃を受けたり挫折したりした時に、自分の感情に立ち返るということをする時間が大きく減った。「悲しい」「なぜ悲しい」「私はこういう人間だ」という深淵に落ちるのではなく、どの行動がダメだった、次はこうするということについて考えるようになった気がする。前ほど悲劇のヒロインにならなくなったし、前ほど文脈をすっ飛ばしたサブカル女喋りをしなくなった。(この文では「文脈をすっ飛ばした」の部分が文脈をすっ飛ばしていない証拠だ)

これは良い変化なのだろうか。面談の結果、私の人生を振り返ると「なりたい自分になることを諦めなかった人生」だそうだ。とてもしっくりくる。小学校より中学校、中学校より高校、高校より大学の自分が好きだ。周りに配慮できるようになり、多角的な視点で思考することができ、手仕事的にもできることがぐんぐんと増えてきた。そしてここにきて個性が消えた寂しさすら感じているのはわがまますぎやしないか。ただ、私の個性は自己肯定感の低さと感情変化の激しさではなかったのか。誰かに敵意を向けている自分が嫌いだったから、変えた。でも楽しかった。次は何を?没個性になりたかった私は結局何をすれば?伊織よりも稲葉がヒロインなのは、そこに確固たる信念があるから、ヒロインたる自己を持っているから。なぜ私は稲葉の道を進まなかった?伊織になろうとした、その方が刹那的に幸せだと思った。世界中を敵に回しても信じ合えるたった1人と出会うラブコメなんていらない、私の人生にはたった1人の王子様などいらないのでできる限り多くの人に好かれたいし認められたい。そう思ってたからこの苦しみは知らなかったんだなあ。

 

蹉跌という言葉の意味を初めて知った。挫折って意味なんだ…

自分を見失わないためにも、毎日日記をつけることは大切すぎると感じた。今から無印で手帳買っても遅くないかなあ。

肩こり

二年生になりました。

 

 

昨年一年間はおかげさまで充実した日々を過ごすことができました。

スナックを6月で辞め、7月から授業を切りまくりながらバイトに没頭し、アラベスクと誕生日を過ごし、夏休みは実家で楽しんだり部活の合宿を楽しんだりした。

 

 

10月からは店長と関係が悪化しながら授業を切りまくり、新しく昼の飲食店で働き始めた。ういんの紹介である。とにかく優しい店主とおじさん達に囲まれて週に一回程度出勤した。水曜日だけは自分がまともな人間なんじゃないか、普通の女の子なんじゃないかと錯覚することができ、帰り道はいつも浮かれていた。

 

秋学期は本当に精神衛生状態が悪く、単位もボロボロと落とした。そして12月、ついに前の店を辞め、隣駅の店に入った。

とにかく新しいことだらけで、意識の違いや厳しさに始めの2ヶ月こそ泣いていたが、春休みに入ると生活に余裕ができ、まだ耐えることができた。3月はかなりの好成績を叩き出し、自分としても大変嬉しい気持ちでいっぱいではあったが、

昨今の事情もあり不安に駆られ、偽装書類まで使って1ヶ月の休みをいただいた。

 

その3月、4月に関しては、飲食店の方をとても頑張った。長い長い春休みにたったひとつのバイトである。自分も本気で取り組んだ。

その甲斐もあり、仕事面では大変評価されたし職場の人間関係も良くなった。自分にとって居心地の良い場所だなあと心から感じることが増えた。まるで隣駅での3月成績のようにこちらでも3月、4月は満足度の高い日々を過ごした。

 

5月になった。そろそろ恋しくなり、隣駅でのバイトを再開した。

久しぶりの出勤は我ながら生き生きとしていて、順調な滑り出しだった。

飲食店の出勤は若干にぶくなったが、それでもうまく両立できていた。

 

 

問題は大学が始まってしまったことだ。

 

学生の本分。私が現在の生活で最優先すべきもの。

 

オンライン&オンデマンドになったことで、登下校の手間は省けたがかなりの量の課題に追われることとなった。

授業。課題。夜勤。昼職。

どれも両立とは言えず、課題を落としたり夜勤に身が入らなかったり昼職の仕事がずさんになったりしていった。目に見えた堕落である。

 

追い討ちをかけるように、二つのバイト先で人間関係にも問題が出てきた。

 

隣駅では、飲みに行った際に自分の周りの人にたくさん迷惑をかけつつ、自分がいかに嫌われているのかを再確認しつつ、自分がいかに性格が悪くひねくれた甘え者であるかを痛切に実感させられた。そのせいで隣駅の上司のことを勝手に恨んでいる自分もさらに醜いうえ、仕事のパフォーマンスや仕事中の態度にも心の荒れようが表れてしまい、さらなる自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまった。

 

飲食店では、上司と親密になった結果、礼儀を欠いた態度が日常的になってしまい店や周りの大人への敬意が見えない業務姿勢が続いてしまった。遅刻や連絡不足、ずさんな仕事は十分に自覚しており、しかしそれを上司や周りの環境のせいにする自分と向き合うことができずにいた。また、こちらの環境では夜職について公表していないため、常習的に嘘をつかなければならない場面が多くそう行ったことも精神的なストレスとして自分の弱さを強めていった。

 

 

そして今、今週、二つの店でどちらも自分の態度を注意されてしまい、どちらかで失敗したらもうひとつの方をうまくやって自己肯定感あげよう作戦が完全に詰んでしまったのである。これは自らをしっかりと省みて改善策を練らなければいけない。

このまま八方塞がりでアルバイトを続けることは実質不可能であるし、ましてや部活動が再開したら最悪も最悪である。

これから落ちついて過ごすために、痛い思いをしようと思う。

 

 

 

 

三週間

三週間が経過した。

 

 

 

正確に言うと三週間と五日間。

最初の五日間は遊びに遊んで、博物館や美術館、カフェ、古着屋などを巡った。

 

 

引越しをして、想像の何倍も良かった新しい住まいに満足して眠った。

 

入学式は、特に何もなく、普通に行った。一人で会場に入り、一人で写真の列に並び、軽く友達ができて、先輩に対しては失言をした。パンプスで足が終わりを迎え、帰り道は靴を脱いでストッキングで坂道を歩いた。

 

その後は調子が良かった。友達と学校帰りにタピオカを飲んで、宿泊研修でもそこそこ広く知り合いができた。履修登録は完全勝利し、授業も初回ブッチしたことを除けば素晴らしいスタートを切ることができた。

 

そしてバイトが決まり、水商売を始めた。初めての職場としてはとてもいい場所(だと思う)で、精神的にもストレスなく、肉体的にもハードすぎない業務内容であるため今の所問題はない。

 

 

ちらちらと引っかかりが出始めたのは新歓のあたりからだろう。

キラキラ女子大生への一歩として、運動部のマネージャーを希望して新歓に参加したが、コンパで食中毒&履修状況と練習時間の不一致がありやむなく入部を断念した。

 

これにより空けていた時間をバイトに回そうと思い、シフトを増やし新しい職場にも応募した。掛け持ちの職場は少し気を遣うがまあやっていけるかなくらいの感じで、不安はまだある。初日の客に恵まれ、接客自体はとても楽しかった。二日目は暇で、少しミスもあり凹んだ。シフトがたくさん入れず店側に申し訳ない気持ちはあるが、そういうのは関係ないと割り切るべきだろう。

 

 

メンタル面では、自己肯定感の高まりと不必要な好意への嫌悪感がせめぎあっている。ネ友、学科の同級生、客と、好意を向けられることが嬉しくもあり気持ち悪くもありな人々と接している今は、いつ病んでもおかしくない不安定な心持ちだ。

この嫌悪感と戦うことが課題であり試練だ。選ぶ側の人間であることに誇りを持ち、同時に選ばれる側の人間でもあると自覚し驕りを捨てる。難しいがこれまでの人生で徐々に付いてきている力だ。

現在もモヤモヤと戦っている。負けたくない。病みたくない。

 

 

 

 

 

きっと給料が入ったら精神衛生はかなり高水準を保てるだろう。

 

Graduation

愛校心を持っていますか?

 

私はありません。

 

 

 

 

 

 

 

入学式の翌日から、新入生は温泉旅館に監禁されて2泊3日の研修を受ける。

学力テスト、オリエンテーション、クラスの役決め、講演会、課題研究…

中でも最悪なのは、クラスごとの校歌と応援歌の練習だ。毎朝のスタートはもちろん、昼も夜も大きな声で歌い、最終日には校長の前で発表し最も優秀なクラスが表彰される。

こう書くと特に嫌な要素は無いのだが、私にとってこの研修は地獄の思い出なので、この日から校歌と応援歌は地獄のテーマソングとして記憶されてしまったのだ。( ちなみになぜ地獄だったかというと、この研修前に出された課題が終わっておらず研修中に夜2時まで居残り学習をしたからである。自業自得。因果応報。南無南無南無南無。)

 

 

研修から帰ってくると、家にいるおじさんから部屋の片付けをさせられた。ゴミを分別しながら校歌を歌ってみろと言われ、歌詞を間違えると「お前の学校への愛はその程度か。ふざけるな。俺は先輩だぞ。お前の親である前にお前の先輩だ」と言われ「ウケる」と思った。(以前には「親である前に雇用主と従業員である」宣言をされた。私には父親がいない。)

 

 

その後、1年生2年生とあらゆるイベント・行事・式典の度に校歌や応援歌を歌った。最初ほどの嫌悪感は無いものの、まだうっすらと苦手意識を持ってそのメロディーを受け止めていった。そもそも体育会系のノリが苦手なので、応援歌は特に自分の人生との温度差を感じずにはいられなかった。それだけでなく、校歌・応援歌は昔から変わらない伝統ある歌だ。OBを名乗るよくわからないお爺さんもこの校歌を歌えるのだ。つまり、うちにいるよくわからんゴミもゴミなりに大切な青春を過ごした学び舎の思い出としてこの歌を心に留めている。それが嫌なのだ。

 

 

 

 

愛校心なんて、在校生にある訳がないと私は思う。卒業してみれば、苦しい重荷や責任から逃れられるし、自らの成長を実感することで自分が過ごした日々の尊さやそれを取り巻く学校という存在にかけがえのない思いを抱くだろう。しかし、現在大量の課題と理不尽な校則、将来への不安の中でもがいている現役高校生は、どうしてこの学校を素晴らしいと思えるだろうか。しかし私は、学校の体制や校風の愚痴を言うと「愛校心が無いなら学校辞めろ。お前みたいな奴はいらない」と憤慨するおじさんと日々を過ごしてきたため、3年間本当に最後まで学校を好きになれなかった。

 

 

 

 

そして来る3月1日、卒業式。始礼、開式の辞に続くは国家・校歌の斉唱。前奏が流れ、1番2番を歌っている時、私は初めてこの校歌を少し良いと思えた。美しい自然と素晴らしい仲間に囲まれ、ここまで成長できた自分を肯定できるかもしれないと思った。

 

 

 

 

しかし、間奏に入った瞬間、後ろから大きな声で3番を歌うおじさんの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

え??おじさん?????????

 

 

 

周りは騒然、失笑。私もヤバいおじさんいるねーと言ってやり過ごした。前言撤回、私はこの学校が嫌いだ。なぜなら素晴らしい仲間と思い出に出会えたこの場所に名前に歌に、私がこの世で1番嫌いな人間のイメージがつきまとってくるからだ。もう一生こんな学校おさらばだよ、ファッキュー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛校心、ありますか?

 

 

 

 

 

 

 

BABY

My dream is becoming a great mother.

 I’ve had this dream since I was an elementary student.My parents divorced and my mother remarried in NZ. Now I live with my father.

 

I rarely felt any warmth and satisfaction in my family because I have a toxic parent.

 

My brother and I have hated him so much that we have called our crazy father  “Garbage”(I’m not sure whether word is appropriate  Garbage or Trash).We’ve cooperated and fought against him.

My brother,Thoiq was often scolded and punched by Garbage.It always forced its opinions and we had to obey its rules.We had been banned from playing games,watching TV,having snacks and buying favorite comics.It forced us to kiss each other because we talked noisy in the car.We have spent black decade.

 

Eventually, Thoiq decided to live in the dormitory due to escape from it.He gained freedom and grew up happily.He works now.He always helps me a lot, for instance, he bought me a phone for Christmas and take me trip with him in summer vacation, so I have a big gratitude for him.

 

 I will start my new life independent from Garbage. I want to make many friends, visit many places, and go through many things.

 

Someday I will get married to a great person and give birth a child. I want my baby to grow up happily and  feel satisfaction with their own life.

 

 I hope my future will be super happy ✌️